名古屋には、古くから文化と知識として栄える三大天満宮があります。これらの神社は、学問や試験合格、商売繁盛などを祈願する人々に愛され、訪れる人々に豊かな文化と歴史を語りかけています。今回の記事では、名古屋三大天神と名古屋三大天神参りの方法について紹介します。学問の神様が宿るこの神社を巡り、名古屋の文化に是非触れてみて下さい。
名古屋三大天神参り
3社(上野天満宮、桜天神社、山田天満宮)いずれかの神社にて、名古屋三大天神参りの菅原道真公が描かれた『絵馬』を初穂料1,000円納めてお頒かちいただきます。そして、絵馬の後ろに御朱印をいただきます。
2社目、3社目で同じように絵馬の後ろに御朱印をいただきます。初穂料はそれぞれ200円です。
絵馬の御朱印が全て揃うと、3社目の神社で『天神像お守り』がいただけます。
絵馬とお守りを自宅に持ち帰り願いが叶うまでお祀りします。
願いが叶ったらいずれかの神社へ納め、お礼参りをします。
菅原道真公に関して
天満宮(天神社など)とは、菅原道真公をお祀りした神社のことです。
菅原道真公は、平安時代初期に活躍した文学者であり政治家です。901年策謀により太宰府に左遷、その2年後に亡くなり、神格化されました。
学問の家系に生まれ、幼少の頃より学問を好み、5歳で和歌を詠み、11歳で漢詩を詠み、19歳で文章特業生となり、その後右大臣まで上り詰め、「和魂漢才」を体現されたまさに学問の神と言える存在です。
天満宮の臥牛
牛と菅原道真公は由縁が深く、必ずと言って良いくらい天満宮には神使として牛が鎮座しています。その理由には諸説あるのでいくつか紹介したいと思います。
①菅原道真公誕生が丑年であった(845年)
②菅原道真公がなくなったのが丑年であった(903年)
③菅原道真公がなくなったとき、車を曳く牛が動かなくなりその場所に埋葬した(現在の太宰府天満宮)
④菅原道真公を、牛が刺客から守った
⑤菅原道真公が、牛を可愛がっていた
また臥牛の頭と自身の頭を交互になでると知恵を授かると言わたり、傷や病んだところをさすると回復すると伝わっています。参拝時には、お牛をさすることをお忘れなく!
山田天満宮
創建は江戸時代、4代将軍徳川家綱により教育・学問を広めるための文教政治を推奨し、当時の尾張2代目藩主徳川光友が太宰府天満宮より菅原道真公の御神霊を迎えたのがはじまりと言われています。
境内には恵比寿神・大黒天神・金山彦神・岐神が祀られている金神社があり、金運招福・商売繁盛の銭洗い所が設けられています。また御嶽神社の神域にある「よりそい石」は、恋のパワースポット三社めぐりの1つです。
所在地 | 名古屋市北区山田町3-25 |
駐車場 | あり |
公式HP | http://tenman.jp/ |
桜天神社
創建は1540年、織田信長の父信秀の夢枕に菅原道真公が立ち、お告げがあったとされています(社伝より)。ここ桜天神社は、当時の織田信秀の居城であった古渡城(中区橘2丁目8)から北に位置し、居城を移った末森城(千種区城山町2丁目88-88)から西に位置します。名古屋の主要道路である「桜通り」は、桜の名所であり、境内に桜のご神木があったことから名づけられました。
所在地 | 名古屋市中区錦二丁目4番6号 |
駐車場 | なし |
公式HP | http://sakuratenjin.com/ |
上野天満宮
創建は平安時代、陰陽師で有名な安倍晴明の一族は、バンテリンドームナゴヤが隣接する名古屋市千種区清明山に移り住み、菅原道真公を慕って祀ったのが起源とされています。現在の地は江戸時代矢田川の氾濫により移りましたが、千種区晴明山にはシンボル五芒星の晴明神社があります。徒歩で15分ぐらいですので一緒に参拝してみてはどうでしょうか。
所在地 | 名古屋市千種区赤坂町4丁目89番地 |
駐車場 | あり |
公式HP | http://www.tenman.or.jp/ |
最後に
それぞれの神社へは車で10~15分間ぐらいで到着できますので、移動時間1時間程度あれば十分に参拝できますし、公共機関を使用した場合は30~45分間ぐらいで到着できますので、移動時間2時間程度あれば参拝できます。学校受験や資格試験、就職試験などここぞという時に『名古屋三大天神参り』おすすめです!