加賀加賀百万石を築いた前田利家は、当時の平均身長155cm前後の中で約180cmの体格を誇る傾奇者と言われ、「槍の又左」と異名がつくほど血気盛んな若い時代を尾張名古屋で過ごしてきました。そんな前田利家の生誕地やゆかりの地を今回ご紹介したいと思います。日帰りでも十分に楽しめますので、ルートマップも参考に是非お出かけしてみてください。
前田利家とは
加賀百万石を築いた前田利家(生年月日:1539年、没年月日:1599年:諸説あり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけて織田信長の時に赤母衣衆筆頭として、豊臣秀吉の時には五大老として活躍し、戦国期の時代に多くの影響を残した重要な歴史的人物です。
前田利家ゆかりの地5選
前田速念寺
本家前田家があった前田城跡地は、前田利家誕生の地という説もあります。小牧・長久手の戦いで秀吉方に味方し、徳川方の攻撃を受け前田城は落城、後年利家が前田家鎮魂の寺として建立したお寺になります。境内にある前田與十郎長定の墓は落城時の城主です。
最大の見どころは、利家の鯰尾兜をモチーフにした屋根の本堂です。
所在地:〒454-0941 名古屋市中川区前田西町1丁目904
荒子城跡と前田利家生誕の地
前田利家は、名古屋市中川区荒子(当時の尾張国海東郡荒子村)の生まれ。父の荒古城主前田利昌の長男は利久、利家は四男として誕生し、幼名は犬千代と言われていました。当時の前田家は織田家筆頭家老林秀貞の与力(寄騎ともいう)です。
所在地:〒454-0869 名古屋市中川区荒子2丁目191
前田利家公初陣の像
前田利家の初陣は、萱津の戦いと呼ばれ、織田信長が尾張国統一に向けた戦いの1つ。利家初陣像の横で手を振る幼い女の子が妻のまつです。利家21歳の時に結婚した妻まつの年齢は12歳と言われています。(結婚年齢に関しては諸説あり)妻のまつは、利家の死後出家し戒名芳春院となります。
所在地:〒454-0874 名古屋市中川区吉良町138-2
妻まつ誕生の地
瑞円寺の片隅に、誕生の地があります。林常信の息女から、篠原主計の養女となり、主計が亡くなると高畑家で養われ、12歳の時に利家と結婚(1559年)。前田家と徳川家が戦になるのを回避するため、自ら人質として14年間江戸に住み前田家を守り続ける才女だったそうです。誕生の地までの道中に「前田利家正室お松生誕地」「芳春院の里」の看板や「おまつの里」の幟など宣伝されていましたが、誕生の地空気間は満足できませんでした。
所在地:〒497-0001 愛知県あま市七宝町沖之島北屋敷
荒子観音寺
尾張四観音の一つである荒子観音寺は、創建729年の古刹です。境内にある多重塔は名古屋市最古の木造建築であり国の重要文化財に指定されています。また本尊は聖観音で、33年に1度だけ開扉される秘仏です。前田利家は、1576年越前へ向かう前に、この荒子観音寺の本堂を再建したとされています。
所在地:〒454-0861 名古屋市中川区荒子町宮窓138
前田利家の豆知識
前田慶次の叔父
若きころの利家は、傾奇者と呼ばれ派手な格好や行動をしていました。
人気漫画「花の慶次」で主人公の前田慶次の叔父にあたります。
織田家を解雇?!
前田利家が信長の同朋衆である拾阿弥を斬り(1559年)、織田家を解雇されてしまいます。桶狭間の戦いは無断で参加し戦果を挙げるも認められず。ようやく認められたのは、こちらも無断で参加した森部の戦い(1561年)後です。
まとめ
前田利家が亡くなる翌年に天下分け目の関ヶ原の戦い(1600年)が起こっています。実際、前田利家があと数年でも生きていれば江戸時代がなかった、と言われるほど影響力が強い武将でした。そんな利家が過ごした尾張名古屋の地を、織田信長や豊臣秀吉の関連地と一緒に回ってみてはどうでしょうか。