長野への改易前は50万石の広島城藩主だった福島正則、今回は豊臣秀吉や加藤清正と親戚関係にある福島正則ゆかりの地をご紹介します。賤ヶ岳7本槍の一番槍筆頭に挙げられる武闘派人物で、愛知県あま市の出身です。あま市は、名古屋駅から車で20~30分・名鉄電車でも20~30分、名古屋市の西側に位置します。半日でも十分楽しめることができ、歴史的建造物の観光もできるおすすめスポットです。
福島正則とは
豊臣秀吉子飼いの福島正則(生年月日:1561年、没年月日:1624年)は、播磨三木城攻めで初陣を飾り、山崎の戦い・賤ヶ岳の戦い・小牧長久手の戦いなどで武功をたてた武闘派の人物で知られます。関ヶ原の戦いでは東軍(徳川家康軍)に味方し50万石の広島城藩主になりましたが、武家諸法度に違反したとして改易させられ長野県へ移り生涯を終えます。
福島正則ゆかりの地7選
福島正則生誕地
桶屋を営む福島正信の長男として1561年尾張国海東郡二ツ寺村にて誕生。幼名は「市松」。現在は石碑が建てられており、参拝者であれば駐車可能なスペースが1台分あります。豊臣秀吉の重臣であった蜂須賀小六も、愛知県あま市出身の戦国武将です。
所在地:〒490-1207 愛知県あま市二ツ寺屋敷172
瑞祥山 菊泉禅院
福島正則の菩提寺です。位牌や毘沙門天立像・肖像画が奉納されており、墓所の奥には供養塔や記念碑があります。駐車場も8台分のスペースがあります。
所在地:〒490-1207 愛知県あま市二ツ寺屋敷69
高之宮神明社(二ツ寺神明社古墳)
生誕の地や菊泉院から近く、福島正則が1610年に重葺を修復したと伝わっている神社です。古墳時代の全長約80mもある前方後円墳上に高之宮と風之宮が鎮座しており、愛知県でも歴史的価値の高い場所です。
所在地:〒490-1207 愛知県あま市二ツ寺屋敷7
【駐車場に関して】
生誕地~菊泉院~高之宮近辺は道幅が狭いので、二ツ寺親水公園の駐車場が広く停めやすいです。
甚目寺観音
仏教伝来した6世紀に建立されたと伝えられ、重要文化財や宝物も多く保持しており、見どころが多い古刹です。尾張四観音の1つでもあります。天智天皇や源頼朝、尾張徳川家からも保護を受けており、国指定重要文化財の南大門にある仁王像は、福島正則が寄進したと言われています。お時間がある時は、隣の大徳院への参拝もおすすめです。源頼朝より泰安された大黒天様とえびす天様も拝むことができます。
所在地:〒490-1111 愛知県あま市甚目寺東門前24
長正山 妙勝寺
創建は1261年鎌倉時代と言われ、山門は鎌倉から室町時代当時による建造物。清洲城城主であった福島正則は、妙勝寺に庫裏を寄進したそうです。参道から非常に綺麗な風景で居心地が良いお寺です。広い駐車場もあります。
所在地:〒490-1112 愛知県あま市上萱津上野62
長久山 實成寺
創建は1319年と伝えられ、妙勝寺と同じ日蓮宗の寺院です。清洲城城主時代に福島正則が實成寺の山門を寄進したと言われています。こちらの境内もとても綺麗で、参道右手には大きな涅槃像が横たわります。
所在地:〒490-1113 愛知県あま市中萱津南宿254
堀川の福島正則像
「名古屋の母なる川 堀川」は、1610年名古屋築城の際に福島正則によって開削されました。当時は、名古屋城から港の熱田湊まで約6kmを完成させ、尾張地区の繁栄に大きな役割を担いました。納屋橋の南側に銅像はあります。
所在地:〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄1丁目1
福島正則の豆知識
天下の名槍「日本号」とお酒
お酒好きでも有名な福島正則は、黒田長政の家臣で母里太兵衛友信(もりたへいとものぶ)に、豊臣秀吉からもらった天下三名槍に数えられる「日本号」をお酒の対決で譲ってしまった経緯があり、「酒は飲め飲め飲むならば 日の本一のこの槍を 飲み取るほどに飲むならば これぞ誠の黒田武士」の福岡民謡黒田節は、このエピソードから誕生している。
あま市美和歴史民俗資料館
2階のエリアには、福島正則の肖像画や賤ヶ岳7本槍の肖像画、徳川家康筆の徳政免除証文も見ることができます。営業時間は9:00~16:00、水・木曜日が定休日になりますが、無料で拝観可能です。
所在地:〒490-1205 愛知県あま市花七反地1−番地
まとめ
晩年の福島正則は長野・新潟にまたがる4万5000石に減転封し出家後その地で亡くなりました。35歳で清洲城城主として、40歳で広島城城主となり武闘派としての経歴は印象的です。今回ご紹介した寺院は治世においても素晴らしい面が多く見られ、尾張名古屋においての功績をご覧いただけると思います。名古屋に来られた際は、是非足を運んで見てください。