清洲城|織田信長の足跡をたどる歴史的重要拠点

名古屋からわずか15分。電車に揺られて気軽に訪れることができる、名古屋近郊の歴史観光スポット【清洲城】かつて戦国武将・織田信長が天下統一を目指してその一歩を踏み出した城として、歴史好きの間では「信長の出発点」として知られています。大河ドラマや映画の舞台としてもたびたび登場する歴史的役割の高いこの城は、観光地としても注目の存在です。

春は桜、秋は紅葉と、季節ごとに表情を変える清洲城の景観は、美しさと歴史情緒が見事に調和。特に夜間には期間限定でライトアップやイルミネーションが行われ、幻想的な姿を楽しむこともできます。名古屋近郊で“日帰りできる歴史散策スポット”をお探しの方に、まさにぴったりの場所です。

今回はそんな清洲城の歴史、見どころ、そして日帰り旅行に最適な楽しみ方をご紹介します。戦国ロマンを感じる一日旅へ、ぜひ足を運んでみませんか?

CONTENTS

清洲城

アクセス

🚃 公共交通機関でのアクセス

名古屋駅から電車で約10〜15分!最もシンプルなアクセス方法は、JR東海道本線を利用するルートです。

  • 出発駅:JR名古屋駅
  • 到着駅:JR清洲駅(約10分)
  • 徒歩:清洲駅から徒歩約20分(もしくはタクシーで5分程度)

もう少し駅からの距離を短縮したい方は、名鉄名古屋本線の「新清洲駅」も利用可能です。

  • 出発駅:名鉄名古屋駅
  • 到着駅:名鉄新清洲駅(約10分)
  • 徒歩:新清洲駅から徒歩約15分

清洲駅・新清洲駅ともに比較的コンパクトな駅のため、迷いにくく安心です。

🚙 車でのアクセス

名古屋市内からは国道22号線や名古屋高速を利用すれば、約20分ほどで清洲城に到着できます。観光スポットながら比較的混雑が少なく、ドライブがてら訪れるにもぴったりな距離感です。

・駐車場:無料駐車場あり(普通車 約80台、大型バス対応可)

歴史的背景や由縁など

清洲城の始まり

清洲城が築かれたのは室町時代中期、応永12年(1405年)ごろ。尾張の守護だった斯波義重が、守護所を移して築城したのが始まりとされています。尾張・美濃・三河を結ぶ交通の要衝に位置しており、戦略的にも極めて重要な場所でした。

織田信長と清洲城の関係

清洲城が歴史の表舞台に登場するのは、何といっても織田信長の存在によるものです。信長は1555年に家督を継ぎ、尾張統一の拠点として清洲城を本格的に整備しました。1560年には、今川義元との「桶狭間の戦い」に出陣。この合戦で劇的な勝利をおさめ、信長の名は一気に全国へと広がります。その天下布武への第一歩が、まさに清洲城から始まったのです。

「清洲会議」の舞台

1582年、本能寺の変によって織田信長が討たれた後、重臣たちが後継者を協議するために集まったのが清洲城です。この会議は歴史的にも極めて重要な意味を持ち、後に「清洲会議」と呼ばれるようになりました。清洲会議には、柴田勝家・羽柴(豊臣)秀吉・丹羽長秀・池田恒興など、錚々たるメンバーが出席。信長の次男・信雄と、孫の三法師(のちの織田秀信)をめぐって後継者争いが行われたことで知られています。

名古屋城への移転と清洲城の終焉

1609年、徳川家康の命により名古屋城が築城されると、清洲城の機能は名古屋へと移されます。これにより、清洲城はその役目を終え、城下町ごと「清洲越し」と呼ばれる大規模な移転が行われました。
以降、清洲城は廃城となり、残された城跡も時代とともに失われていきますが、その歴史的価値と由縁は今も多くの人々に語り継がれています。

今の清洲城(復元天守と展示内容)

現在の清洲城は、1989年(平成元年)に清須市によって再建された模擬天守で、かつての本丸跡地近くに建てられています。外観は木造を意識した美しい白壁と黒瓦のコントラストが印象的で、天守の内部は展示施設となっており、織田信長をはじめとする戦国武将の歴史資料、甲冑や刀剣のレプリカ、清洲会議に関する展示など、歴史好きには見逃せない内容が盛りだくさん。3階部分は展望室になっており、五条川や市街地を一望できる絶景スポットとしても人気です。

また、清洲城の周辺では春になると桜が満開となり、花見スポットとしても賑わいます。特に夜には期間限定のライトアップが行われ、幻想的な天守の姿は、まさにインスタ映え抜群。季節ごとに異なる美しさを楽しめるのも、清洲城の大きな魅力のひとつです。

清洲城の概要

名称清洲城
住所愛知県清須市朝日城屋敷1−1
電話番号0524097330
URL清須市ホームページ

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