笠寺観音|七福神恵比寿様を祀る古刹、竹千代の人質交換の地!

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名古屋市南区にある「天林山 笠覆寺」は、十一面観世音菩薩を本尊とし、なごや七福神めぐりの恵比寿を祀る真言宗智山派の寺院です。733年に創建された歴史ある古刹は、尾張四観音の一つであり、時代を彩る多くの歴史的人物とも深く関わりを持つ寺院です。また、笠寺観音の鐘は尾張三名鐘の一つとされており、大晦日には除夜の鐘をつくために大勢の参拝客で賑わいます。今回は、そんな笠寺観音を紹介します。

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天林山笠覆寺 笠寺観音

アクセス

名古屋駅から約16分の名鉄名古屋本線「本笠寺」駅より徒歩3分程度の場所にあります。地下鉄で行かれる方は、桜通線「桜本町」または「鶴里」駅より徒歩18分程度です。駐車場もあり、近隣にはコインパーキングも多いのでお車での参拝も安心です。

歴史的背景や由縁

733年(一説には736年)、呼続の浜辺に漂木が打ち上げられ不思議な光を放っていました。これを見た僧・禅光(善光)上人は夢のお告げに従い、その霊木で十一面観世音菩薩像を彫り、現在の名古屋市南区粕畠町に天林山小松寺を建立して像を祀ったのが始まりです。

時が経つにつれて寺は荒廃し、観音像も風雨にさらされてしまいます。そんな中、鳴海の長者に仕えていた娘が、雨に濡れた観音像を見て哀れに思い、自分の笠をかぶせました。その後、藤原基経の子である藤原兼平が旅の途中でこの娘に出会い、彼女を妻に迎え「玉照姫」と呼ばれました。930年、兼平と玉照姫は現在の場所に寺を再建し、「笠で覆う寺」という意味で笠覆寺と名付けられました。この寺は「笠寺観音」として親しまれ、名古屋市南区笠寺の地名の由来となったと言われています。

見どころ

笠寺観音は、「名古屋二十一大師第16番札所」「大名古屋十二支 恵当寺 巳年本尊札所」「尾張四観音」「東海三十六不動尊15番札所」「なごや七福神恵比寿」の霊場です。本堂横に干支お守り菩薩像や賓頭盧上人、笠寺観音関連の禅光上人や阿願上人、不動明王や七福神像が並びます。

また、約10年続いた笠寺観音再整備事業をしめくくり、善い縁やあるべき巡り合わせを得るきっかけになることを願って宝塔象が造立されました。

笠寺観音は、歴史的に重要な場面が展開された場所でもあります。1547年の戦国時代、尾張の織田家と駿河の今川家に挟まれた三河の松平家は、今川家の支援を得るため、幼少の竹千代(後の徳川家康)を人質として送り出しました。しかしその途上で、織田家に竹千代が拉致されてしまいます。二年後、松平家は安祥城を攻め、織田信広を捕らえたことで、ようやく竹千代との人質交換が成立し、彼は無事に松平家へ戻ることができました。

栄華を誇った笠覆寺十二坊のうち、西方院や東光院、泉増院が今なお残っており、全て徒歩圏内ですので一緒に参拝してみてください。

笠覆寺の山門前には【泉増院】があり、秘仏・玉照姫が祀られています。庭園には美しいもみじが広がり、静かなひとときを楽しめます。また、【東光院】は「巌流島の戦い」で知られる宮本武蔵が、1630年以降に立ち寄ったと伝えられています。武蔵の遺品3点が寺宝として保管されていますが、現在は一般公開されていません。

笠寺観音の概要

名称天林山 笠覆寺
所在地名古屋市南区笠寺町上新町83
本尊十一面観世音菩薩
創建733年
URLhttp://kasadera.jp/

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