特別史跡 名古屋城|尾張名古屋は城で保つ

『伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城で保つ(もつ)』と伊勢音頭で歌われた、名古屋繁栄の象徴とも言える名古屋城について紹介したいと思います。現在の復元された名古屋城は、江戸時代に徳川家康が築城を命じた城で、金の鯱(しゃちほこ)が飾られた天守閣が有名です。今回は名古屋城の歴史や見どころ、アクセス方法などを詳しくご紹介します。名古屋城に興味のある方は、ぜひ最後までお読みください。

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名古屋城の歴史

徳川家康の命令で1610年から1619年にかけて築かれ「近世城郭の完成形」と称される名古屋城が完成した。当時は、江戸幕府の西方を守る要塞として重要な役割を果たしていました。

名古屋城は、幕末まで徳川家の居城として続きましたが、明治維新後には軍の所管となり、城内に軍事設備の建設や二の丸御殿などの建物の撤去が始まってしまいます。金鯱も溶かして金品へ変えるとの案が出ましたが、ウィーン万国博覧会に金鯱を展示したところ高評価を受け、名古屋城自体の文化的価値も見直されます。

その結果、名古屋城の保存が決定し、金鯱も数年ぶりに屋根に戻され、その後名古屋城は、日本で最初の国宝に指定されることになります。

しかし残念なことに、1945年5月14日、アメリカのB29爆撃機が投下した焼夷弾が、金鯱を降ろすために組んであった足場に当たり、わずか3時間で全焼。

当時それを目撃した住民のショックは計り知れないものがあったそうです。そのため絶対に燃えない鉄筋コンクリートで再建したとも言われています。現在の天守閣は、1959年に再建されたもので、本丸御殿は2018年に木造で復元されました。現在は、老朽化のため天守閣には入れませんが、本丸御殿は、当時と同じ、武家風書院造という建築様式を現代の名工たちが細部に至るまで再現しています。

実はもう一つの『なごや城』があった??

徳川家康が命じる前に実は、もうひとつの「那古野城」がありました。

現在の名古屋城二之丸付近には、室町時代から前身となる那古野(なごや)城が建っていました。城主は鎌倉時代後期から名古屋台地北部の那古野の地を領有していた今川氏の一族で、1521~1524年(大永年間)に城を築いたとされています。

室町幕府が没落し戦乱の世となると、尾張守護代であった織田家の中でも、信長の父・織田信秀が台頭。1538年(天文7)頃、今川義元の弟・氏豊の居城だった那古野城を奪い取ります。その後、1546年(天文15)頃に古渡城(現在の名古屋市中区)を築いて居を移すと、信長に那古野城を譲りました。

1555年(弘治元)、当時、尾張の中心だった清須城に信長が移ると、那古野城は信長の叔父にあたる信光が城主となります。信光が没すると、重臣である林秀貞(ひでさだ)の居城となり、 1582年(天正10)には廃城となりました。

名古屋城公式サイトより

廃城となった場所に目をつけたのが徳川家康で、西に残る豊臣勢との戦いに備え守りの要として、軍事要塞施設とも言える名古屋城を築城しました。

豆知識

今でも「那古野」と言う地名が名古屋市西区には残っていますが、読み方は「なごの」です。

名古屋城の見どころ

やっぱり金鯱

名古屋城には、多くの見どころや名所があります。まず、目を引くのが金の鯱です。金鯱は、天守閣の屋根に2つ飾られており、金板から鎚金という板を裏側から叩いて形を出す方法で作られており、一対で88キロもの18金が使われているそうです。

豆知識

金鯱は万博の時や、名古屋城が老朽化で入城出来なくなった時など、ごく稀に降ろされて間近で見ることが出来ます。現在、天守閣の木造化を計画しているので、ひょっとしたら近い将来、間近でみられるチャンスがあるかもしれません。

本丸御殿

本丸御殿は、本来、城主(藩主)が居住する御殿でしたが、将軍用に改修されて以降は、城主(藩主)は二の丸御殿に居住することになります。将軍専用とあって、格式は京都の二条城に匹敵したと言われるほど、豪華な装飾や彫刻が施されていました。2018年に木造で復元された本丸御殿も、とにかく豪華です。現在残念なことに天守閣には入れませんが、本丸御殿だけを見るために訪れても後悔しないと思います。現代の名工が技術の限りを出し切って作ったと言われるのが感じ取れます!

時間がなくても見て欲しい場所

天守閣と本丸御殿以外で時間がなくても是非見てほしい場所
・那古野城跡の碑
・清正石(金シャチの次の写真)

石垣工事で大活躍したのが石垣づくりの名手とされた加藤清正です。最も重要な天守台の石垣を担当し、熊本(肥後)から約2万人を引き連れてやってくると、わずか3カ月足らずで工事を終えてしまったと伝えられています。本丸東二之門を入った正面には、大きさ約八畳敷、重さ推定10トンとされる名古屋城の石垣で最大の巨石があります。この石を清正が運んだという伝承があり「清正石」と呼ばれていますが、この石垣の施工大名は黒田長政なので単なる説話と思われます。

名古屋城公式サイトより

アクセスなど詳細

名称特別史跡 名古屋城
住所〒460-0031 愛知県名古屋市中区本丸1−1
電話番号052-231-1700
公式サイトhttps://www.nagoyajo.city.nagoya.jp
開園時間午前9時~午後4時30分
ただし、本丸御殿・西の丸御蔵城宝館へのご入場は午後4時まで
休園日12月29日~31日、1月1日(4日間)
ただし、催事等により変更となる場合があります。

観覧料

大人500円
名古屋市内高齢者※100円
中学生以下無料

アクセス

公共交通機関をご利用の場合地下鉄
名城線 「名古屋城」 下車 7番出口より徒歩 5分
鶴舞線 「浅間町」 下車 1番出口より徒歩12分

名鉄
瀬戸線 「東大手」 下車 徒歩15分

市バス
栄13号系統(栄~安井町西) 「名古屋城正門前」下車すぐ
なごや観光ルートバス「メーグル」「名古屋城」 下車すぐ
「名古屋城東・市役所」 下車 徒歩6分
基幹2号系統 「市役所」 下車 徒歩5分
車をご利用の場合名古屋高速1号楠線 「黒川」 出口から南へ8分
名古屋高速都心環状線 「丸の内」 出口から北へ5分

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