巳年に訪れたい!蛇毒神を祀る、徳川家ゆかりの富部神社/名古屋市南区

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名古屋市南区にある「富部神社」をご存じでしょうか?
喧騒から離れた住宅街の一角に佇むこの神社は、江戸時代には『蛇毒天王社』や『蛇毒神社』とも呼ばれていました。御祭神には蛇毒気神(素戔嗚尊同一視)が祀られており、今年2025年の干支「巳年」とも深い縁があります。

さらに、1603(慶長8)年には徳川家康の四男・忠吉公が隣接する長楽寺にて病の平癒祈願を行い、無事回復。そのお礼として1606(慶長11)年に書院・客殿を寄進したことが、現在の富部神社の由来とされています。

この記事では、そんな由緒ある富部神社の歴史や見どころ、アクセス情報までご紹介します。巳年の今年、運気上昇や厄除け祈願にふさわしいスポットとして、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

CONTENTS

富部神社とは

アクセス

■ 電車でのアクセス

  • 名鉄名古屋本線「桜駅」より徒歩約10分
    ※「桜駅」からは南西方向に進むとスムーズです。)
  • 名古屋市営地下鉄 桜通線「桜本町駅」より徒歩約15分

■ 車でのアクセス

  • 名古屋高速をご利用の場合
    →「堀田出口」または「呼続出口」から降りて約10分
  • 国道1号線からお越しの場合
     →「桜本町交差点」を東に進み、「薬師通三丁目」交差点を南方向へ
  • 近隣のランドマーク
     →「長楽寺」の南側に隣接

■駐車場

参拝者専用の駐車場がございます。
※台数に限りがあるため、混雑時は公共交通機関のご利用をおすすめします。

歴史的背景や由縁など

名古屋市南区に鎮座する富部神社は、歴史と文化が息づく由緒ある神社です。その起源は、1603年に愛知県津島市の津島神社から勧請されたことに始まります。その後、1606年には、清洲城主であり徳川家康の四男である松平忠吉公が病気平癒の祈願をし、快復したことから、本殿以下拝殿・祭文殿・廻廊が創建されました。

富部神社は、江戸時代を通じて尾張藩の黒印地として毎年百石が寄進され、藩主による営繕が行われるなど、藩主の崇敬を受けてきました。また、創建以来「蛇毒神天王」「蛇毒神社」などと呼ばれ、疫病退散の神として信仰されてきました。明治時代に入り、現在の「富部神社」と改称されました。

本殿は桃山建築の姿を残し、国の重要文化財に指定されています。また、祭文殿・廻廊、1727年作の山車(高砂車)は名古屋市指定有形文化財に指定されています。高砂車は、かつて祭礼時には東海道を曳行されていましたが、現在は10月の大祭日に一般公開されています。

富部神社の御祭神は、素戔嗚尊であり、相殿に田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命、菊理媛神を祀っています。ご神徳は、厄除け・病気平癒・縁結び・商売繁盛など多岐にわたります。

また、富部神社は、隣接する長楽寺との関わりも深く、1603年に松平忠吉公が長楽寺で病気の平癒祈願をし、回復したことから、1606年に寺に書院・客殿などを報恩建設しました。これが現在、長楽寺に隣接している富部神社の由来とされています。

富部神社は、約400年にわたりこの地を守り続け、現在も四季折々の美しい姿で、地域の憩いの場として、また地域の守り神として人々の信仰を集めています。特に今年の干支である「巳年」とは深い縁があり、厄除けや病気平癒を願う方々にとって、訪れる価値のある神社と言えるでしょう。

富部神社の概要

名称富部神社
所在地名古屋市南区呼続4丁目13−38
御祭神素戔嗚尊
創建1606年
URLhttps://www.tobe-shrine.org/

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