豊明市・香華山高徳院 ~桶狭間合戦ゆかりの地と竹林の癒しを歩く~

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戦国時代を描くドラマや歴史書で必ず登場する「桶狭間の戦い」。その運命の一日、今川義元公が本陣を構えたと伝えられる地が、愛知県豊明市の 高徳院(香華山高徳院) です。

緑深い竹林、小さいながらも歴史を感じさせる石碑の数々、そして四季の風景が織りなす静かな境内は、「桶狭間古戦場 ゆかりの地」を巡る旅にふさわしい場所。高野山真言宗の寺としての格式を持ち、訪れた人に歴史と自然の共存を感じさせます。

この記事では、高徳院の歴史背景、アクセスと見どころを中心にご案内します。

CONTENTS

香華山高徳院とは?

アクセス

アクセス

名鉄「中京競馬場前駅」から徒歩約5分。駅から近く、公共交通機関を使って訪れやすいです。
自動車利用の場合は、豊明IC(伊勢湾岸道)から国道1号経由でアクセス可能。周辺道路の混雑や駐車場の有無は訪問前に確認を。

●拝観料・時間・休み

見学は自由で、特に拝観料を要しない場所があります。開門時間は概ね午前から午後の時間帯が多いですが、永代供養施設や納骨堂などは受付時間が限られています。公式サイトで最新の時間をチェックすることをおすすめします。

●駐車場・設備

駐車場が 約200台、家族連れや多くの参拝客にも対応可能。境内には竹林の小径など自然散策に適した通路があります。

歴史的背景

宗派と創建

高徳院は高野山真言宗の寺院で、住所は愛知県豊明市栄町南舘3-2。明治期に高野山からの寺号を請い受け、仏教寺院としての現在の姿を整えてきました。

桶狭間合戦とのゆかり

永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで、今川義元公がこの地に本陣を構えたという伝承があります。高徳院の境内(もしくは境内近辺)に「今川義元公本陣跡」の石碑が建てられており、戦没者供養の場としても知られています。また、本殿前には今川義元仏式墓所や、義元の重臣である松井宗信の墓碑もあります。

●高野山との関係

宗派が高野山真言宗であり、寺号も「香華山高徳院」として高野山の末寺としての由緒を持ちます。格式ある寺院として、仏教的な精神や法式を重んじる場所でもあります。

香華山高徳院の概要

名称香華山高徳院
所在地豊明市栄町南舘3−2
本尊高貴徳王菩薩
創建1894年に移転
URLhttps://www.koutokuin.jp/

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