11月初旬、私は一宮市にある歴史深い禅寺、妙興寺(妙興報恩禅寺)を訪れました。まだ鮮やかな紅葉には少し早く、秋の色づきがゆっくりと始まろうとしている境内には、緑がかった苔が柔らかに広がり、静かな時間が流れています。ここは、室町時代に創建された禅寺で、柳生新陰流の剣豪・上泉伊勢守信綱が修行を重ねたゆかりの地。その精神を今に伝える 座禅体験も行われており、修行の風情が残る空間が訪問者を迎えてくれます。
また、境内には創建当時の様式を伝える 国指定重要文化財「勅使門」 をはじめ、仏殿や鐘楼など多くの 文化財 が点在。穏やかな秋の入り口に、歴史と禅の世界を静かに散策する贅沢な時間を過ごすことができました。
妙興寺とは
アクセス


最寄り駅:名鉄名古屋本線「妙興寺駅」から徒歩約 7分。
車でのアクセス:周辺には一宮市博物館との共用駐車場もあり、散策の拠点にしやすい。 (史蹟寺院として訪問者も多いため、週末や行事時は混みやすい可能性がある)
訪問のポイント:境内は常時自由に散策できます。
歴史的背景や由縁など


妙興寺は、貞和4年(1348年)に滅宗宗興を開山として創建された臨済宗・妙心寺派の古刹です。創建後まもなく、南北朝の動乱期にあっては尾張地方の北朝勢力の拠点寺として重んじられ、その格式と影響力を拡大しました。
寺号にある「報恩」は、開山の宗興が母への恩に報いる意を込めて名付けたもので、その精神性が寺全体の教えにも反映されています。一方で、時代を経る中で幾度もの災害に見舞われ、主要な堂宇は焼失を繰り返しました。しかし、その中でも勅使門は創建当初の姿を今に伝える貴重な遺構として残っており、国の重要文化財にも指定されています。
また、妙興寺は歴代武将や文化人からの手厚い庇護を受けた寺院でもあり、1353年には足利義詮の祈願寺、1356年には後光厳天皇の勅願寺となったという記録があります境内には江戸時代以降に再建された総門や鐘楼などが今も残されており、その建築様式は禅宗寺院らしい端正さと重厚感を併せ持ちます。
さらに、妙興寺は数多くの文化財を所蔵してきたことで知られており、「妙興寺文書」「紙本著色足利義教像」「絹本仏涅槃図」「紙本著色豊太閤画像」などが伝えられています。こうした美術品や古文書を通じて、妙興寺は単なる宗教施設を超えて、歴史と文化を紡ぐ場ともなってきました。
上泉伊勢守信綱(剣豪)ゆかりの地として


妙興寺は、戦国時代の名剣豪 上泉伊勢守信綱(新陰流の開祖)にとって、剣と禅の精神を研ぎ澄ます重要な修行の地でした。伝説によると、信綱はこの寺で「無刀取り」という、高度な剣術を体得したといわれています。無刀取りとは文字通り素手で相手の刀を制する術であり、信綱は丸腰で刀を取り込む技を編み出し、これを高弟の 柳生宗厳(後の柳生新陰流)に印可したとも伝えられています。
また、妙興寺の境内には「上泉伊勢守信綱修道跡」を示す石碑が立っており、この場所が信綱ゆかりの修行場所であることを今に伝えています。
座禅体験
妙興寺は、単なる歴史寺院ではなく、現在も 修行道場としての機能を持ち続ける禅寺です。そのため、毎月 1日と15日(ただし1月1日と8月15日は除く) には、一般の方も参加できる 座禅体験会 が開催されており、初心者でも禅の基本を体感できる貴重な機会です。
座禅の時間帯は夕方~夜(18:00~21:00ごろ)が多く、静かな境内のなかで心を落ち着け、自分の内面と向き合う時間が得られます。妙興寺は剣豪・信綱ゆかりの地でもあるため、座禅を組むだけで、剣禅一致の精神を体感しているような感覚を抱くこともできます。
妙興寺の概要
| 名称 | 妙興寺 |
| 所在地 | 愛知県一宮市大和町妙興寺2438 |
| 本尊 | 釈迦三尊 |
| 創建 | 1348年 |
| URL | ー |


