名古屋発祥!現代パチンコの歴史&『現代パチンコの父』正村竹一を紹介!

現代パチンコの父 正村竹一紹介 アイキャッチ

パチンコは、名古屋が発祥の地と言われております。今回は、その由来や、パチンコの普及を語るには欠かせない『現代パチンコの父』正村竹一氏について書きたいと思います。

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パチンコの発祥の地は名古屋じゃない?!

現在日本で遊戯されているパチンコは、欧州で製造販売されていたウォールマシンと呼ばれるコインを弾いて遊ぶ縦型遊戯機やコリントゲームと呼ばれる横置き型のスマートボールのような遊戯機が原型と言われております。

この遊戯機が1920年代初頭に日本に輸入され、関西では『パチパチ』『パッチン』との呼び名で、縁日で露店営業を始めたのが、パチンコの始まりとされています。そしてウォールマシンを日本で改良し製造した会社も大阪の会社と伝わっており、日本のパチンコ発祥の地は、関西と言えそうです。

ではなぜ、名古屋が発祥の地と呼ばれているかと言うと、その理由は二つあります。一つは、上記のように露店として行われていたパチンコが、初めて店舗として営業許可を受け、パチンコ遊技場を開業したのが、名古屋市の西区であること。そして、正村竹一氏が現代のパチンコの原型になる『正村ゲージ』なるものを作り上げたのも名古屋市西区であったためです。

正村竹一氏ってどんな人?

正村竹一氏は、現在の岐阜県岐阜市にて1906年に生まれます。9歳の頃から奉公(家族のために家を出て住み込みで働くこと)に出て、奉公先では器用さを活かし自動ビン洗機を開発したりと、若い頃から才能を発揮していたそうです。

そして19歳の頃に奉公を終え、名古屋市西区にガラス商である「正村竹一商店」を開業する。9歳から家族のために奉公に出るのはもちろん、現代では考えられない若さでの独立開業ですね。

当時、パチンコの遊戯方式は「メダル式」と「鋼球式」がありました。現代のパチンコのシステムと同様の「鋼球式」を1936年頃に開発したのが、名古屋市西区の円頓寺付近に住んでいた藤井文一(正一)氏である。この藤井氏がその開発途中にガラスが必要になったことで、二人が出会い、正村はパチンコに興味を持つこととなります。その結果、1936年に自身もパチンコ店の経営に乗り出します。戦争の影響などで1940年にパチンコ経営の中断を余儀なくされますが、戦後の1946年に名古屋市西区に「浄心遊技場」を再開します。

そして、1948年に、のちに『正村ゲージ』と呼ばれる現代パチンコの原型を作り出します。これが、パチンコ業界に一大ブームを巻き起こし、パチンコの普及に大きく影響を与えます。

正村竹一氏が考案した『正村ゲージ』

今回この記事を書くにあたり色々と読んだところ、『正村ゲージ』については諸説あるようで、定義は明確ではないそうです。諸説ある理由として、天釘・ヨロイ・ハカマや風車、チン・ジャラなどの、どこの部分を正村が発明したのか、していないのか?の点にあると思われます。筆者は専門家ではないので、どの部分が正確な情報なのかの判断が出来ませんが、それでも正村がパチンコを世間に広めるきっかけになったのは間違いないようです。

当時のパチンコは球の動きが単調で大人が遊戯すると、すぐに飽きられてしまったり、台の作りの精度も悪く不正ができてしまったりしたそうです。そこで正村は、単調にしている原因を徹底的に探りました。その上で、発明したかどうかは別として、

・釘を極端に減らし、独自の釘の配置を行う
・天釘、ヨロイ釘、ハカマなどを配置する
・球の動きを予測しづらい風車の配置やベルの採用
・釘の角度や長さなどの変更 

などを、正村独自の組み合わせをした台の構成が『正村ゲージ』と言えるのではないでしょうか。この『正村ゲージ』は今までにない複雑な球の動きを見せ、人々を魅了しました。その結果、1948年からの数年でパチンコの店数は10倍にまで増加します。いかに『正村ゲージ』の影響が大きかったが伺えます。

正村は『正村ゲージ』と呼ばれる構成を特許申請しませんでした。これは、自分で発明した部分ではないものが含まれていたからなのか、語り継がれているように「みんなで仲良く使うがええがや」と模倣を容認していたのか、今となっては分かりませんが、多くのパチンコメーカーが模倣した台を製作したことで、瞬く間に全国に広まり、パチンコの急速な普及に繋がったのは間違いない事実です。

正村商会の現在

残念ながら正村商会は2010年6月に破産の申し立てに至り、1975年の正村没後35年でその歴史に幕を下ろしました。折角なので、その正村が開業した現在の西区浄心周辺を少し歩いてきました。

正村ビルにあった「パチンコマサムラ」があった場所は、現在はマンションになっておりました。浄心駅の周辺に昭和21年頃の写真が道路に掲載されているのですが、そこにはパチンコ店と思しき2軒の「正村」が写っています。しかし…ここもマンションになっており無情な時の流れを感じました。

名古屋で創業したパチンコメーカー

正村竹一の影響を受けやすかった土地柄でもあり、モノづくりが盛んな土地柄だったりということで、名古屋で創業したパチンコメーカーはたくさんあります。有名な企業をいくつか紹介します。

名古屋で創業のパチンコメーカーリスト
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株式会社高尾設立:1950年高尾製作所を設立
本社:名古屋市中川区
主要機種:銭形平次シリーズなど
URL:http://www.takao.gr.jp/
京楽産業.株式会社設立:1952年に中川区に京楽遊機制作所発足
本社:名古屋市天白区
主要機種:必殺仕事人シリーズなど
URL:https://www.kyoraku.co.jp/
株式会社大一商会設立:1952年に中村区で大一商会を創業
本社:北名古屋市
主要機種:天才バカボンシリーズなど
URL:https://daiichi777.jp/
株式会社三洋物産設立:1955年名古屋市西区にてモナミ商会設立
本社:名古屋市千種区
主要機種:海物語シリーズ
URL:https://www.sanyobussan.co.jp/
株式会社ニューギン設立:1968年創業
本社:名古屋市中村区
主要機種:花の慶次シリーズなど
URL:https://www.newgin.co.jp/
株式会社オッケー.設立:1983年株式会社まさむら遊機を設立
本社:名古屋市天白区
正村商会の工場長であった伊藤寿夫が正村商会のパチンコ製造の撤退を機に『まさむら』の名を譲り受ける形で設立された会社です。現在は京楽産業の傘下。

まとめ

名古屋市西区が中心となって広がったパチンコ。その生みの親とも言える『正村竹一氏』を取り上げて紹介してみました。名古屋から広まった文化や産業は他にも沢山ありますので、また改めて紹介したいと思います。

余談になりますが、今回色々と調べていると、レトロなパチンコ台で遊べるこんな場所がお隣の岐阜県にあるのを見つけました!

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